去年のこととか
1年前当面の第一目標とした引っ越しを成し遂げた。えらい
えらい…と言いたいところだが1年はかかり過ぎというのが一般的な認識だと思う。別に賃貸物件を選ぶのに1年かかっていたわけではない
本当は1年前には早々に引っ越すつもりだったが、偶然的に一緒に住んでいた親に、万年貧乏家族にそれなりのお金が入ってきた
30年あまり公共団地住まいだった私達は老後資金にすることより1戸建て住宅を買うことにした
私の両親はものを溜め込むので3LDKの家にミチミチと詰まった荷物の片付けと引っ越しに労働力(私)が必要だった
物件を探すのを手伝ったり、土地や家を買うのに必要な手続きについていったりした。 こういうことには興味がなかったので色々勉強になったので楽しかった。
1戸建て住宅は3LDKより当然広いはずだったが、30年間詰め込まれた荷物は凄まじかった
45Lのゴミ袋を60袋ぐらい捨てた。最終的にでかいトラック3台で運んだ。 3週間前からハイペースで片付けていたはずなのだが仕事も何日か休むはめになった。すごく疲れた日々だった…
なんだかんだで引っ越しが終わった。新居には広めの庭があり藪同然といった感じだった
時期は夏で大量のヤブ蚊で正直ちょっと…という感じだったのだが、これまた偶然山で知り合いになった本職の庭師の方にお願いして整えてもらった
素人から見たら藪でも、前の住人の方は色々な植物を植えていたことを教えてもらった
- 百日紅
- 榊×2
- 椿×3
- 金木犀
- ハナミズキ
- 楓
- 紫陽花×3
- 南天
- ナナカマド
- ユキノシタ
- ユキヤナギ
- 花ざくろ
- 生け垣用の柊
- よくわからないでっかい木(でかすぎて雀などが大量にたかっていて不衛生なので切ってもらったので名前を覚えていない)
みょうがや山椒もあった。山椒は料理につかった :+1:
木以外にもチューリップなど毎年花を咲かすような植物も多く植えてあったが、庭師の方に整えてもらうまでは全くわからないような状態だった。 剪定の仕方なども教えてもらった。とてもありがたく思った。
庭師さんは庭師の仕事を好きだと言っていた。庭師の仕事にも色々資格があり自分も歳だが挑戦していると。私も剪定を教えてもらいながらとても良い仕事だなと感じた。庭師狩野もいいかもしれない
私の希望でバラを3本と芝桜を一角に、母の希望で沈丁花、ゆずを追加で自分で植えた。元の住居からもってきたローズマリーも植えた。
他にも父の希望で元住居の庭のいちご(ほぼ野生化)、ドクダミ(!!!)、ミント(!!!)もちょっと離れた所に植えた。相変わらず父の考えることは分からないが反対を聞き入れる性格でないことは理解しているので何も言わなかった
元々あった庭木は伸び放題だったのでざっくりと剪定してもらったが、追加で植えた木ともども問題なく生長している。うれしい
庭木の生長を見るのは楽しい。剪定や片付けを本職の方にやってもらったとはいえ雑草は大量に生え、小石は散乱しているのでそれを整えていた
引っ越しが終わった後1・2ヶ月ほどで間を置かず一人暮らしをしようと考えていたのだが、そのような楽しい作業をしているうちに少し長く居てもいいかなと思い始めていた
両親は家に慣れるまで一緒に居てほしかったのか賛成してくれた
近くのスーパーを開拓したり、家具を揃えたり、備え付けられたオイルヒーターの修理を依頼したりした
偶然的な大きな収入の、その大部分を使ってしまったとはいえ、我が家に初めて訪れた大きく横たわるような余裕であった
最近母は視力がめっきり落ちたと言っていた。実際視力が落ちた方の目にはものもらいもあり私は病院を勧めた
母は初めての余裕から病院に行くことを決心した
ここからは別エントリにまとめる予定なので端折るが、最終的に母は高血圧、高脂血、軽度糖尿病、がんの疑いを宣告された。視力回復の手術は断られた
引っ越しから2ヶ月後のことだった。母はがっかりしていたし、入院や手術に対して怯えもあった
----コロナもあるし治すのはゆっくりでもいいんじゃないか。
私も念願のマイホームを手に入れた家族にゆっくりしてほしかったし、病気はいずれも緊急性は高くなさそうだった
ただこういうものは先延ばしにしても怖いのが続くだけ、善は急げというものなのだ
本人が嫌がらないように散歩とか買い物に付き添いながらゆっくり説得し納得してくれた
父は医者や病院が嫌いなのであまりいい顔をしない。これ以上両親の仲が悪化しても面倒なので私が色々気を使った。効果はあった。ガッツポーズ
入院は時期を置いて2回、それぞれ2週間ほど
がんは境界性腫瘍とのことで取り出して検査しないと悪性かどうか分からないとのことだった。結果的には悪性でないとのことで転移もMRIからは認められなかった
病院食は味気ないという愚痴を入院中の母から聞きながら、食物繊維が豊富で油や糖が少ない料理を考え退院後に振る舞った。母は喜んでくれた
私はよく料理をつくるが油や糖は多かった…ので入院の件に責任を感じていた。母の努力が実り血糖値や血圧は正常値付近に戻った
全身麻酔の開腹手術、術後は当然痛むので家事はすべて引き受けた。当然のことだ。ただそれ関連で両親は喧嘩した。私が風呂に入っているときには辞めてほしいもんだ。最悪の結果にはならなかった。セーフ
退院から5ヶ月。母は完全復活
私はずっと家族で旅行に行きたかった。昔はよく行っていたのだが最近は行ってなかった。一人暮らしをする前に思い出をつくりたかったのだ
GWを利用してお伊勢参りにいった。家族全員初めてだ
ちょっと高めのホテルに泊まった。ご飯が美味しかった
日程は結構つまっているし移動距離も多かったのでまじまじと感じたが、2人とも老けた
私も27でアラサーだ。親が老けるのも当然だろう
もうこのような思い出を作ることも難しくなるんだろう。来てよかった
旅行から帰ってきて私はすぐ引っ越しの準備を始め、一人暮らしを始めた
1年前のエントリで「過去イチ不勉強でだらしない」と自己評価した
ただそれも余裕がないと出来ないことだ。そして去年その余裕があったから家族のために時間が使えた
結果オーライというものだったのかもしれない
以上